2007年10月31日水曜日

■ 社会病理としての「在日」

 
 

 
1.「不可能な『在日』」
 
ここに最初に載せているのは、学生時代にある出版物での執筆依頼が入った時、その冒頭を飾る扉絵として、僕自身が描いて寄せたもの。

「在日コリアン」について、若い立場からの意見や考えごとを書いてほしい、そんな注文を受けての取り組みだったが、そこで僕は、「ペンローズの三角形」という数学者の編み出した図を素材にして、「在日コリアン」と呼ばれる人々のアイデンティティがどんな矛盾を孕んでいるのか、それを視覚化させてみようと試みることにした。
 
・図:「不可能な『在日』」夫徳柱 2004.3.28
 
 
「『在日』とは何か」— 。この問いについては、これまでじつに多くの人々が直面し、悩み、考え、色んな答えを出してきた。論文だったり本だったり、新聞や、雑誌や、テレビドラマや映画だったり、歌や音楽、踊り、演劇、、その痕跡は、色んなところで、様々な形で残っている。

このスケッチがその仲間入りをさせてもらえるかどうかはわからないけど、とにかく、「『在日』とは何か」というテーマに対して、僕が導き出した答案が、この一枚のスケッチに描かれた図形なのである。
 
図の中の「在日」と掘り出された垂直面のブロックを見てみると、そこで妙な事態が起きていることに気が付く。この「在日」というブロックは、「V字型」のブロックの上にくっついているようで、だけど反対に、「V字型」のブロックの下にくっついてもいる。

でも、「V字型」のブロックは横の辺も斜めの辺も同じ高さで、「在日」と掘り出されたブロックがその上下に挟まれるなんてことは、三次元の現実の世界では起こり得ない現象なのだ。
 
「ディアスポラ」とか、専門分野じゃカタカナ用語が飛び交ってるけど、自分なりにそうした単語の意味を噛み砕こうとしているうちに、ある日、ふとした時に出てきたものが、この変てこりんな、立体的なブロックだった。
 
何が言いたいのかはさて置き、僕は、「ペンローズの三角形」が「不可能な三角形」と呼ばれていることにヒントを得て、この図を、「不可能な『在日』」と名付けることにした。
 
もしも「在日コリアン」のアイデンティティをこの眼で見ることができたのならば、それはきっと、こんな格好をしているのではないだろうか — 僕はそんなふうに思っている。


・「ペンローズの三角形」(作図:夫徳柱 2007)
 
 
 
 
 
2.「性同一性障害」と「在日」
 
「在日コリアン」のアイデンティティやそれを取り巻く問題は、「性同一性障害者」のそれと似ている。
 
「性同一性障害」では、頭では自分の性が「女性」だと自覚しているのに、身体が「男性」だったり、その反対に、身体が「女性」であるのに、頭では「男性」だと自覚していたり、そんな「意識の性」と「身体の性」のズレや不一致が問題となって、広く「病」として認知されるようになった。
 
「在日コリアン」もこれと似て、自分自身を「コリアン」であると頭では頑なに信じているのに、「コリアン」としては不完全であったり、また反対に、自分で自分を「日本人」だと思ってみると、今度はそうではない何かが自分に混ざることを拭いきれず、結果的に、頭で考える自分と、そうでない自分との間に食い違いが起きて、それが不協和音となった時に、「アイデンティティクライシス」が引き起こされる。
 
ズレと不一致。一見結びつかないようだが、「性同一性障害者」と「在日コリアン」を並べてみると、その問には、同じ性質の問題が横たわっている。
 
 
・「性同一性障害」と「在日」(クリック ⇒ 画像大)
 
 
在日コリアンの問題に触れると、多分、誰でもすぐに、「『在日』を生きる」や、「『在日』をやめる」といった言い回しに、必ず出くわすことになるだろう。この時の「在日」という語の響きには、単に「在日コリアン」を省略しただけではない、特殊な意味が与えられている。

きっちりと定義されたわけではないけど、そこには、「在日コリアン」の抱える、あるいは直面してきた様々な状況に対する、人々の情念を圧縮させた何か — 差別に対する抑圧だとか、同胞や一族への愛惜だとか、懐古だとか、過去の歴史だとか、そういうものばかりではなく — 歯と歯の隙間の奥に突っ掛かった、触れられるのに取り除けないもの、そんなものに対するぶつけようのないイライラや、それと付き合わざるを得ない諦め、気持ちはどんより曇っているのに空がやたらと晴れているかのような、相容れない様々な不条理がないまぜになった感情が、この、「在日」という一語には込められている。
 
「コリアンジャパニーズ」や「在日系日本人」という新しいアイデンティティが誕生するのは、意識的であれ、無意識的であれ、人々が「在日コリアン」というラベルから脱却を図ろうとするからだろうし、脱却させようとする圧力が掛かるからに違いない。
 
書店に行けば、「ガンを生きる」だったり、「性同一性障害を生きる」だったり、何かの病を抱えた人々のドキュメンタリーな手記が並んであったりする中で、それらと全く同じように、「在日を生きる」というタイトルの本が存在するのは、「在日」というものが、じつは、「ガン」や「性同一性障害」と同類の、「病」や「障害」、「患い」の代名詞だからなのではないだろうか。
 
 
・「在日を生きる」|「ガンを生きる」
 
あるいは、いや、「在日」とは、背負わざる宿命を背負った者の普遍的な魂の叫びを表すのだとか、苦悩の途をいく人間讃歌のドラマだとか、そんなふうに言う人達もいるかも知れない。

だけどそれらは、個々人の私情を挟んだプライベートなものの見方で、ドラマチックな飾り付けが施されたり、文学的なといったら曖昧だけど、とにかく情緒的で、演劇や映画に向いた「劇場型の『在日』」とでも呼べるような類いのものになっている。

でも、こうした感傷的な解釈だと、「在日」である人にも、「在日」でない人にも、誰から見ても「そうだ」とうなづけるような、立場を問わずに誰にも等しく共有されるための解答が用意されないし、たとえば他人の怪我を見る時のように、気を付けないと自分もこうなるのだと受け止めさせるような、そんな当事者性を垣根なく育てることはできない。
 
「性同一性障害者」のように、アイデンティティに引き起こされるズレや不一致が「障害」として認められて、「病」としての手当を受けるのであれば、「在日コリアン」に引き起こされる症状も、「障害」や、「病」として認められるものではなかったのか — 。
 
こうした問題意識から、僕は、「障害」と「障害者」が区別され、「患い」と「患者」が個別に扱われることに習って、「在日」は、「患い」のことを指すものとして、「在日コリアン」は、その患いを抱えた人々、つまり、「患者」を指すものとして、それぞれ捉えるようになった。
 
そして僕は、これが独りよがりの発想ではないことを証明するために、「在日」を目に見えるものにしてみようと、「不可能な『在日』」という一枚のスケッチを描いてみることにしたのである。
 
 
 
 
 
3.「在日」という知覚の錯誤

「在日」とはどんな「患い」なのか — 。
 
少し話がカーブするが、「ペンローズの三角形」を応用して、3次元の世界では実現し得ない、不可能な空間を描き出した騙し絵の巨匠、オランダの画家、M・C・エッシャーの作品について触れてみたい。
 
・M・C・エッシャー:1898.6.17 − 1972.3.27
 
  (編集中)


・エッシャーの絵画 ≒ 「視覚言語」 ≒ ヒトの意識(当事者や、それを観察しようとする者すべて)に生じる錯誤・錯覚


・「滝」:M・C・エッシャー 1961
 
・「上昇と下降」:M・C・エッシャー 1961

・どうしてエッシャーの絵を取り上げるのか
 ⇒ 人間の脳が孕む知覚の錯誤を描き出しているから。
・「在日」の史実、あるいは体験は、私達が精神構造に抱える錯誤の1つ。
・「在日」≒「マージナルマン」(境界人)≒「日韓の『架け橋』」
・「コンピューター」 ≒ 外部化されたヒトの「脳」
・コンピューターで起きるエラー ≒ ヒトの意識の中で起きるトラブル
・土地利用情報システムで起きる「橋」のトラブル
 ⇒ 「中間領域」に対する脳の認識の視覚化
・実際の「橋」の管理
 ⇒ 土木橋梁課 + 建設課(道路課)+ 河川事務所
 ⇒ 複数協同管理でなければ監理・維持できない
 
  
 
 
 
4.「ザイニチ・Zainichi」
 
・3つの領土問題
 
・日本と韓国、日本とロシア、日本と中国、それぞれの間に起きる問題を観察すると、どれも何かと何かに挟まれた中間領域、あるいは境界線上に問題が起きていて、「在日」と同じ症状の発現が見てとれる。

・「北方領土(日本名)/南クリール諸島(ロシア名)」
・「竹島(日本名)/独島(韓国名)」
・「島(日本)/岩(中国)」←「沖ノ鳥島」をめぐる攻防
 
 
・「脳化社会」としての「現代社会」
 

・「民族意識」=「民族」+「意識」
・「学校」(意識の養育場)
・「学校」(入力)/「トイレ」(出力)
・「学校」⇒「民族別区分」○・「性別区分」○ 
・「トイレ」⇒「民族別区分」×・「性別区分」○

(編集中)

・ヒトが何かを「対象化」して、それを「管理」しようとする時の問題。
 
(編集中)
 
・東京駅の通勤ラッシュ

・地球上に「都市」と呼ばれる塊がどんどんと生まれ、飛行機や船、鉄道といった、モノを運ぶ手段が発達するのにともなって、世界のあっちからこっち、こっちからあっちへと、人が大量に往来するようになっている。

2007年10月23日火曜日

■「外国人問題」について考えることの意味の意味

 
・多文化地域論
 
 
・3つのダイアグラム
 
 
・3つのダイアグラム:問題に共通する背景
 
 
・3つのダイアグラム:問題に共通する背景
 
 
・3つのダイアグラム:問題に共通する背景
 
 
・「在日コリアン」について
 
 
・「在日コリアン」について:事例その1